2012年01月14日
「旧石器時代人の歴史」 石器は言葉を話すのか
竹岡 俊樹著「旧石器時代人の歴史」 講談社・選書・メチエ
「石器の製作は、音を文に組み上げる作業と同じであり、人類が石器を完成させた時代が、言語が成立した時代でもある。」
竹岡さんが15年以上前に雑誌に書いたこのフレーズが蘇ってきた。
「旧石器時代人の歴史」(竹岡 俊樹 講談社)を読んだからだ
竹岡さんは、石器から言語の存在を読み取れると言い続けてきた。
このブログの「芸術は、言語の化石」の中で、芸術は言語の存在を表すことを述べたが、石器も言語の存在を表すのだろうか。(言語の起源に関心のある方は、下のタグの言語をクリックすると行けます。)
■学芸員講座(人類)「発掘!沖縄3万年の人類史-海と島に生きる-」
日時:平成24年1月28日(土) 14:00~15:30(13:30開場)
※座学終了後、博物館常設展示室にて解説会を行います。
解説会には、入場券が必要です。(30分程度)
講師:山崎真治(沖縄県立博物館学芸員)
場所:沖縄県立博物館・講座室
定員:80名
行ってみよう!
2012年01月02日
恋するオスが進化する
「恋するオスが進化する」 宮竹貴久著 メディアファクトリー新書
オスとメスが出会い愛し合って子どもを作るどころか、オスとメスは、繁殖を巡って激しく闘争している。
オスとメスには性的対立(繁殖を巡る利害関係がオスとメスで一致しない状態)があるからだ。
キイロショウジョウバエのオスは、他のオスの精子を殺すために毒を盛った精子をメスに送り込む。
そのため、メスは短命となる。
これに対して、メスはこの毒に対する耐性を高め、より強い精子を受け入れられるようにする。
ヨツモンマメゾウムシのオスのペニスについたトゲは、交尾のたびにメスの生殖器を傷つける。
メスは、交尾によるけがを避けるため、それ以上の交尾を避けるようになる。
これにより、メスの浮気を防止できる。
また、このペニスについたトゲは、受精に最適な位置にペニスを固定するために役立つとも考えられている。
※ヒトの性的対立や精子競争が知りたい方は、このブログの「いつでもやりたいオスといつでもできるメス」、「生死をかけた精子競争」、「ヒトもかつて乱婚だった」をご覧ください。(下のタグの精子競争をクリックすると行けます。)
2011年12月23日
「顔は何を語るか」 あなたの顔はどこから来たのか

あなたは、左の縄文顔それとも右の弥生顔
国立科学博物館名誉研究員(日本顔学会副会長) 馬場 悠男さん
2011.12.17 沖縄キリスト教学院大学 シンポジウム 「顔は何を語るか」で、国立科学博物館名誉研究員(日本顔学会副会長) 馬場 悠男さんによる基調講演「あなたの顔はどこから来たのか」があった。
会場は、女子大生で賑わった。
アジア人には、縄文顔と弥生顔が存在する。
「縄文顔」は、立体的かつ濃い顔で世界標準に近い。
「弥生顔」は、平坦でのっぺりした北東アジアだけの独特な顔。
現代本土日本人は、平均すると縄文人30%、弥生人70%の混血らしい。
縄文時代末期に渡来系弥生人の比率が高くなった理由(仮説)
①渡来系弥生人が持ち込んだ感染症で、縄文人の人口が激減。
②渡来系弥生人は、人口増加率高く、人口が激増。
縄文顔がもてるわけでも、弥生顔がもてる訳でもない。
なぜ、平均的な顔がもてるのか。なぜ、面食いがいるのか、興味のある方は、このブログの「ヒトに面食いがいる理由 」をご覧ください。(下のタグの面食いをクリックするといけます。)
2011年12月16日
山下町第一洞穴遺跡の公園整備
公園として整備される山下町第一洞穴遺跡(琉球新報2011/12/11から転載)
那覇市は、山下町第一洞穴遺跡の公園整備を2014年度の完成を目指し、本年度から遺跡の核となる岩場の整備に着手する予定。
琉球大学の土肥直美さんは「人骨と同じ所で発掘された石器の評価が定まらない中で、公有地化され、公園が整備されるのは全国初ではないか」。
「山下洞穴が整備されることで、他の遺跡整備もスタートラインに立てるのではないか。」(琉球新報2011/12/11の抜粋)
写真:評価が定まらない山下町第一洞穴の出土品のレプリカ(元東京都教育庁文化課の小田静夫さんは、旧石器として追認している「南島考古」2003.6 No,22)
沖縄県立博物館の学芸員は、「もっとたくさん出てくれば、石器として認められるのではないか。」
同じような作り方で同じよう形をした石器が、ほかにもまとまって出てくれば石器として認知されるだろう。
2011年12月10日
「働かないアリに意義がある」はアリか?
「働かないアリに意義がある」(長谷川英祐著 メディアファクトリー新書)
結局、買ってしまった。
動物行動学にはまっていた頃であれば、新聞広告を見ただけで「買い」だっただろう。
働かないアリの存在は、目新しい話題でもなかったが、読んでみると・・・・。
疲労するという宿命の下では、アリの集団全体が同時に疲労するのを防ぐために、仕事に対する腰の軽さの個体差を保つ必要がある。
(今以上に忙しくならないと)働かないアリに存在意義があると言う。
働かないヒトにも意義があるのかは、まだ証明されていない。
※琉球大学の辻和希さんらが研究しているアミメアリのフリーライダー(自分の卵を育てさせるだけで本当に一切働かないアリ)にも注目したい。
2011年12月03日
沖縄両生爬虫類研究会の公式サイト開設
アオカナヘビ:メス成体(左)、オス幼体(右)
沖縄両生爬虫類研究会の公式サイトが開設されました。(沖縄両生爬虫類研究会をクリックしてください)
会誌「AKAMATA」の目次もご覧いただけます。
2011年11月27日
第65回日本人類学会大会 その4(雑感)
国立科学博物館人類研究部長の溝口優司さんの最近の著書「アフリカで誕生した人類が日本人になるまで」
港川人や上部港川人研究の最近の動向も興味深い。
港川フィッシャーの周りのフェンスは、新しくなっているが、港川フィッシャーは十分な保護も活用もされていないのが現状。
港川フィッシャーに行くには、この門を通らなければならない。
(この門の鍵を、八重瀬町立具志頭歴史民族博物館から借りて見学できる。)
沖縄では初めての開催となった、日本人類学会大会(第65回)に一般参加しての雑感。
東北大学の百々幸雄さんの発表者に対する一刀両断の指摘に、たじろぐ発表者や答えに窮する発表者の姿が印象的だった日本人類学会。(後で折り合いが付いたかは不明)
学会会場の常設展示室の前で、「(アボリジニ風に)港川人の顔が変わりましたね。」と話しかけると、国立科学博物館人類研究部長の溝口優司さんは、「(港川人の顔が変わっても、)その価値が下がるものではありません。」と言い残すと、学会の総会へ向かわれた。
溝口さんは、最近の著書「アフリカで誕生した人類が日本人になるまで」中で、「約2万前の港川人と現代人のアボリジニが似ていても、それだけでは、どのようなつながりがあるのかわからないのです。系統の違う人が、環境への適用によって、偶然同じような形態になることもあるからです。」と述べている。(港川人の顔が変わったことに関心のある方は、下のタグの港川人の顔をクリックしてください。)
気になっていた名古屋工業大学の小田 亮さんのポスター発表「インセスト・タブー:社会契約か予防措置か?」。聞き耳を立てての話しだったが、興味をそそられた。
ポスター発表会場で、一番の賑わいを見せていたのは、慶応義塾大学の赤松 美穂さんの「現代人における頭蓋骨と脳形態の対応関係の定量化」。若手男性研究者(?)に囲まれ、話しが聞けなかった。
琉球大学の土肥直美さんは、「琉球列島の人類学:現状と課題」の発表で、「白保竿根田原洞穴遺跡の調査では、人類学者と考古学者の協働作業の成果が出ている。港川フィッシャーでは石器等が見つからないため、考古学的には受け入れられていない。そのため、港川フィッシャーは評価されず、保護も活用もされていない。(遺跡の指定がされていない)
このような現状も一般には知られていない。」
人類学者と考古学者の間のフィッシャー(割れ目)を埋めるためにも、さらなる両者の協働作業が必要だ。
2011年11月20日
第65回日本人類学会大会 その3
北海道は「食べ物がおいしくて・・・・」で、一周り大きくなった発表中の深瀬さん
11月5日(土)、北海道大学の深瀬 均さんによる「先史時代と近代における沖縄諸島の人々の顔面骨形態の特徴~それぞれの時代の本州の人々との比較~」の発表があった。
結論
1 沖縄と本州の縄文人は、大局的な顔の特徴を共有。
2 近現代の沖縄の人々は,比較的、同じ地域の縄文人の顔面形質を強く保持。
3 日本列島における表現型の変異には、縄文時代の地域変異も背景として潜在か。
2011年11月19日
第65回日本人類学会大会 その2
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第65回日本人類学会大会の初日11月4日(金)に、土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアムの松下真実さんによる「摩文仁ハンタ原遺跡から沖縄の縄文人と縄文文化を考える 沖縄の縄文人は本土の縄文人とどこがちがうか」の発表があった。
今回の発表の中で、一番注目していたその発表内容が11月8日・9日の琉球新報「縄文人の起源 探る 摩文仁ハンタ原遺跡の人骨 <上・下> 松下孝幸」で紙面に掲載された。
○本土の縄文人とどこが違うか。
ハンタ原縄文人は本土の縄文人と比べで、
・男女とも頭型は、短頭型(頭を上から見た形が円に近い)で、頭蓋が小さいく顔も小さい。
・男女とも風習的抜歯が見られない、頸骨が扁平でない。
・女性の身長が著しく低い。
・男性に身長が著しく高い例(推測身長168センチ)がある。(男性縄文人の平均身長158センチ程度)
○残された課題と新たな謎
・「沖縄の縄文人と本土の縄文人の関係性」や「沖縄の縄文人と港川人などの旧石器人骨との連続性の有無」を解明するには、縄文後期のハンタ原縄文人からだけでは困難であり、沖縄の縄文前期の人骨の発見が重要である。
・推測身長168センチの長身で巨大尺骨(約28センチ)の持ち主の出自の解明が待たれる。
2011年11月13日
第65回日本人類学会大会 その1
国立科学博物館の海部陽介さん(ポスター発表会場で撮影) 著書に「人類がたどってきた道“文化の多様化”の起源を探る」(NHKブックス)がある。
第65回日本人類学会大会に非会員の自分も参加した。
11月5日(土)、 国立科学博物館の海部陽介さんの「港川人頭骨の再検討:三次元座標データに基づく予備的解析」の発表の後、質問した。
「港川人の頭骨の研究からも、側頭筋は、よく発達していたことがわかっているが、側頭筋のつく下顎骨の筋突起が非常に小さいのは、どように理解すればいいのか。港川人と下顎骨が似ているとされる、現在のオーストラリア先住民の側頭筋はどうなっているか。」
海部さんは、 「下顎骨は、可塑性が高く、生活習慣、咀食のあり方で形が変わる。側頭筋は強いが、それが付く筋突起が小さいというのが港川人の特徴で、その同じ特徴が先史時代の東南アジアの集団に見られるので、港川人は南から来たという考え方と合致していると考える。」
海部さんらによる、「港川人の下顎骨の修整」で港川人の顔(復元図)が変わったが、「港川人頭骨の再検討」で、また新しい港川人像が出現するかも知れない。
港川人の顔が気になる方も気にならない方も、このブログの「港川人の顔が変わった1,2」もご覧ください。
(下のタグの港川人の顔をクリックするといけます。)
2011年10月23日
ハイサイ人類学会ー第65回日本人類学会大会ー
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世界のウチナーンチュ大会のチムドンドン(胸がどきどき)の余韻の残る中、ウチナーンチュのアイデンティティーが刺激される機会がやってくる。
11月4日(金)~6日(日)、沖縄県立博物館・美術館を会場に第65回日本人類学会大会が開催される。
特に楽しみにしているのが、4日のシンポジウム1「琉球列島3万年:ヒトと文化」(オーガナイザー;藤田祐樹、松下孝幸、高宮広土)。
ウチナーンチュのルーツを考えるヒントになるだろう。
6日には、公開シンポジウム「琉球弧とヒトの適応戦略」(参加無料)も開催される。学会というと気後れする人もおられるが、一般の非会員の参加者も結構いるようだ。私も気楽に参加するつもりだ。
ただ気がかりなのは、息子の運動会と重なっていることだ。
沖縄での開催は初めての日本人類学会で、「アフリカで誕生した人類がウチナーンチュになるまで」のイメージがかきたてられると期待している。
ハイサイ人類学会!
11月3日(木)14:00~18:00(沖縄県立博物館・美術館)で、人類学関連学会協議会合同シンポジウムも開催される。
「琉球列島先史時代におけるヒトと島嶼環境」 高宮広土(札幌大学)も見逃せない。
2011年10月08日
「先史時代の沖縄」 さまよえる港川人その2
安里嗣淳著「先史時代の沖縄」(第一書房)
港川人の抜歯:抜歯の風習は、縄文時代中期(4,000年前)以降に多い。
「考古学では、物証がなければ証明できたといえない。自分は、ことごとく否定するので人類学の立場と違って、話題になりにくい。」 元沖縄県立埋蔵文化財センター所長の安里嗣淳さんとの電話での話だ。
安里嗣淳さんの最新の著書「先史時代の沖縄」(第一書房)でも、「考古学的には港川人は石器などの人口品をともなっていないことから、その文化内容、文化段階は不明である。
一応周辺の炭化物から約1万8千年という年代値が出てはいるが、人骨そのものは形質人類学的には後期旧石器時代人にも新石器時代人にもあてはまる範囲にあるというのである。したがって、研究の進展よっては、実は港川人は縄文人だったということもあり得ると考えるべきではないか。」
2011年09月19日
上部港川人、実は港川人 その2
写真 左:上部港川人、右:港川人発見者の大山盛保さんによる人骨断面拓本(八重瀬町立具志頭歴史民族資料館の展示から)
クリックして拡大して見てください。
平成23年7月30日(土)に八重瀬町で開催された 講演・報告会「港川人の時代 世界と沖縄」の質疑応答で、沖縄県立博物館・美術館の藤田さんの説明では、「上部港川人の一部が、港川人に含まれる可能性がある。上部港川人は、深さ15メートルで見つかったとの港川人発見者の大山盛保さんの記録があり、港川人2,3,4号の発見された深さと一致する部分がある。」
そこで調べてみた。
左の写真では、上部港川人の右脛骨(中右)には地下12米、右上腕骨(中央右)には地下15米とある。
右の大山さんによる人骨断面拓本では、(上部港川人の)頸骨と大腿骨も「地下15メートル石灰岩の裂罅より」とある。
また、頸骨の断面が菱形であり、大腿骨の断面は滴形で縄文人の特徴と一致していると言われていることが人骨断面拓本から、確認できる。
上部港川人骨の一部は、港川人と同じ地下15メートルで発見されている。
同じ深さから、見つかったから、上部港川人骨の一部が港川人とは断定できないが、今後の詳細な調査結果は、来年、沖縄県立博物館・美術館で開催予定の大山盛保生誕100周年(仮称)の事業まで待たなければならないようだ。
八重瀬町立具志頭歴史民族資料館には、大山盛保さんが港川人発見するまでの年表も展示されている。
思わぬ発見があるかも。行ってみよう!
2011年09月04日
1万9千年前に何が起きたのかーサキタリ洞ー
サキタリ洞調査区Ⅰで発見されたヒトの上顎の犬歯
サキタリ洞調査区Ⅰで発見された石器かもしれない石英片
サキタリ洞調査区Ⅱで説明する、沖縄県立博物館・美術館の片桐千亜紀さん
サキタリ洞調査区Ⅰで説明する、沖縄県立博物館・美術館の藤田祐樹さん
サキタリ洞調査区Ⅰ
サキタリ洞調査区Ⅰでは、地下約1メートに炭を多く含んだ20センチの黒い層があり、
炭化物の年代測定の結果19,000年前とわかった。
台風9号の去った後の日曜日。ガンガラ-谷のサキタリ洞発掘調査見学会(平成23年8月7日(日))があった。
まずは、発掘されたヒトの上顎の犬歯(1本)と石器かもしれない石英片(3個)を見せてもらった。
いずれも、4,500年前の地層と19,000年前の地層の間で発見されているが、詳しい年代はまだわからない。
石英は、本島南部にはないので、ヒトが持ち込んだ可能性が高い。
サキタリ洞発掘現場では、発掘調査の作業中の見学となった。
サキタリ洞調査区Ⅱでは、発掘途中の人骨も見られた。
サキタリ洞調査区Ⅰでは、地下約1メートに炭を多く含んだ20センチの黒い層があり、炭化物の年代測定の結果19,000年前とわかった。
この黒い層が山火事によるものなのか、ヒトが火を使用したためなのかはわからないが、何かが起きたことは間違いないようだ。
この黒い層から出土した、たくさんのカタツムリの殻や水性のカニの爪も見せてもらった。
発掘調査見学会後、一緒に行った小六の息子は、ラジオ沖縄のインタビューを受けていた。
インタビュー中、父親の自分は緊張して写真をとるのも忘れていたのに・・・・。
発掘調査見学会の感想を聞かれた息子は、「これからの調査が、港川人の生活跡の発見につながるといいと思います。」
追記:博物館学芸員講座 「水中文化遺産への招待」が、 9月24日(土) 14時~16時 沖縄県立博物館・美術館1階、博物館講座室、片桐千亜紀(考古学担当学芸員)で開催される。行ってみよう!
2011年08月28日
それでもヒトは琉球列島に来た!
平成23年7月30日(土) 講演・報告会 『港川人の時代 世界と沖縄』 「石垣島からの更新世人骨発見 白保竿根田原洞穴調査概要」
片桐千亜紀(沖縄県立博物館・美術館)さんの講演から
石垣島の白保竿根田原洞穴は、後期更新世、完新世初頭、無土器・下田原期、グスク時代と利用され、複合遺跡となっている。
この洞穴は、港川人の時代でもある後期更新世は、墓として利用されていたと考えられている。
理由として、①人骨はバラバラだが、面的なまとまりをもって発見された。
②保存状態の良好な頭蓋骨や左右大腿骨が並んだ状態で発見された。
③岩盤・岩陰の近くでまとまって発見されている。
④明確な人口遺物や炭化物は確認さておらず、獣骨も少ない。
石垣島は、更新世の島に人類が到着したことが確実な、世界でもっとも小さい島の一つである。
それでもヒトは琉球列島に来た。
2011年08月20日
港川人はスプリンターだった?その2
写真:平成23年7月30日(土)講演・報告会『港川人の時代 世界と沖縄』 「海外と沖縄の更新世人骨出土遺跡」
馬場悠男(国立科学博物館名誉研究員)さんの講演から
港川人は、スプリンターではなかった。(本ブログ「港川人はスプリンターだった?」参照)
馬場先生の説明によると、「足の前半に比べて後半の踵(かかと)が短いと、ふくらはぎの筋肉が太くなる必要がある。
ふくろはぎが太くて短いと、でこぼこの多い土地には有利だろうが、逆に平原では不利だろう。」
「港川人は、踵が非常に短いが、中足骨(足)は長い。蹴り出しトルクを出すためには下腿屈筋(ふくろはぎ)が強力にな必要がある。港川人は、下腿が短いので太かったはずだ。」
「オーストラリア先住民やアフリカ人とは逆の傾向と言える。
これは、狭い島での環境への適応かもしれない。」
2011年08月13日
やはり似ている 港川人とオーストラリア先住民
写真 左:港川人1号、中:オーストラリア先住民
平成23年7月30日(土) 講演・報告会『港川人の時代 世界と沖縄』 「海外と沖縄の更新世人骨出土遺跡」
馬場悠男(国立科学博物館名誉研究員)さんの講演から
久しぶりに馬場先生の講演があるとのことで、港川人の地元の八重瀬町に行ってきた。
最近、下顎骨の比較から、港川人はオーストラリア先住民に似ているとされ、港川人の顔の復元図もオーストラリア先住民風に変わった。
上の写真の頭骨を比較しても、港川人とオーストラリア先住民の鼻の付け根(鼻根)などが似ているのがわかる。
馬場先生は、以前から、港川人とオーストラリア先住民の顔が似て入ることは、指摘していたとのことだ。
私の古いメモでは、沖縄県立博物館の新館 開館記念展プレイベントの馬場先生の講演(平成18年)で「港川人とオーストラリア先住民との顔の対比が必要(顔が似ている)」 とある。
2011年07月30日
上部港川人、実は港川人
上部港川人の右脛骨に1968年3月17日地下12米、
右上腕骨に1968.3.27地下15米とある
港川人は、深さ15メートルの場所から発見されており、一部、上部港川人が発見された層位と重なる。
人類の足あと展 ギャラりートークでの沖縄県立博物館・美術館の藤田さん
「上部港川人、実は港川人」 こんな記事が出るのも近いかもしれない。
第2回宜野湾市立博物館講座「人類の足あと展 ギャラりートーク」(平成23年7月24日開催)でのこと。
沖縄県立博物館・美術館の藤田さんに「上部港川人と港川人4号の年代が重なる可能性があることが示されているがどう考えるか」との質問をしたところ、「上部港川人は、港川人に含まれると考える。上部港川人の骨には地下12メートルの記載もあり、発見当時の状況を記録した大山さんのノートも再調査し、来年の大山盛保生誕100周年の事業等で報告予定である。」
「上部港川人の骨の形態が、縄文人に似ているとされていることにも否定的な見解を持っている。また、測定年代12,000年前であるとされているが、修整される可能性が高い。」
※上部港川人は、港川人(18,000年前)の発見された下層部ではなく上層部で発見されたといわれる人骨で12,000年前とされている。
2011年07月10日
先史・原始時代の琉球列島~ヒトと景観~
拍手の大きさでは、伊藤説が勝っていた。
平成20年12月13日(土)沖縄県立埋蔵文化財センターで開催された「シンポジウム琉球縄文時代の謎」でのこと。会場は、補助席でも足りず、立ち見の人の熱気が前席まで伝わってきた。
琉球列島にヒトが適応した時期について、札幌大学の高宮広土さんの説は、縄文時代早・前期に一度、植民に失敗したが、縄文時代後期頃に移住し適応したとする「縄文時代後期適応説」。
國學院大学の伊藤慎二さんの説は、縄文時代早・前期から適応したとする「縄文時代早・前期適応説」。
二つの説の違いは、沖縄の縄文時代の初めの3~4千年の間、植民の失敗により人口が途絶えたとする説に対し、人口の断絶はなく、継続して維持されたとする説である。
これまでの定説に疑問を投げかけた上記シンポジウムの内容をまとめたのが「先史・原始時代の琉球列島~ヒトと景観~」(高宮広土・伊藤慎二 編 六一書房)」。
やはり、先史時代の沖縄はパラダイスではなかったのか、港川人絶滅説に関心がある方にも必読書。
2011年06月25日
二足歩行が一夫一妻を誕生させた
ヒトの証でもある直立二足歩行は、メスに気に入られようとオスが食物をメスに運ぶことから始まった。
「二足歩行が一夫一妻を誕生させた」説を唱えているのが、アメリカのケント州立大学のオーウェン・ラブジョイ氏だ。
現生する類人猿のオスは、繁殖期になるとほかのオスと戦って排卵期のメスを奪い合う。ヒトの祖先も同じ行動をとっていたと予測できる。
その場合、勝者となって排卵期を迎えたメスとできるだけ多く交尾し子孫を増やせるのは、鋭く尖った大きな犬歯を持つたくましいオスである。
では犬歯が貧弱な劣勢のオスたちはどうしていたのだろうか。
彼らは、エサをプレゼントすることで排卵期のメスを誘惑していたのかもしれない。現生のチンパンジーでも同様の行為が観察されることがあり、サルの仲間であるコロブスの肉をオスが差し出し、その見返りとしてメスが交尾に応じる場合がある。
二足歩行で行動すれば手を自由に使って多くの果実やイモ類を持ち帰ることが可能となり、はるかに多くのプレゼントをメスに捧げることができたはずだ。メスの方も犬歯が小さくても安定的にエサを運んでくれるオスを好むようになっただろう。
安定的にエサを調達できる二足歩行が有利であり、交尾とエサの提供の1対1関係が成立するようになると一夫一妻が誕生した。(ナショナルジオグラフィック2009.10.1抜粋)
現生人類のオスがメスに気に入られようとプレゼントを運ぶ姿は今も変わらないし、それを利用するメスも同じだ。


