首里平良橋周辺遺跡 発掘調査現場説明会
【琉球王朝時代の太平橋のアーチ部の遺構】(安謝川を挟んだ北地区)
【太平橋の擁壁の遺構】(安謝川を挟んだ南地区 道路東) 石を多角形に加工し、
互いにかみ合うように積む「相方積み」の技法が使用されている
【家屋跡(近代)と新井(井戸)】(井戸の口には、ひもで擦った跡が見られる。)
偶然、首里の大名のいとこに会ったのは、「首里平良橋周辺遺跡発掘調査現場説明会」だった。
この橋で琉球と薩摩の攻防戦があったことを教えてくれたのも、実はそのいとこだった。
発掘調査現場説明会の資料に寄れば、琉球王朝時代(1597年)、浦添城から首里城までの街道整備のため、木橋から石橋(太平橋:たいへいきょう)にかけ替えられた。
この太平橋は、1609年の薩摩軍と琉球王府軍の攻防で知られている。
現在は、コンクリート製の平良橋となっており、皆さんも一度は車で通ったことがあるでしょう。
この平良橋のすぐ側から、太平橋の遺構が見つかったのだ。
参加者は、全員ヘルメットをかぶり、足下にも注意しながら、現場に降りた。
7~8メートル以上掘り下げられていたのではないかと思われる発掘現場は、琉球王朝時代の太平橋の遺構以外にも近代の住居跡や井戸が見つかった。
最初の写真の石積みが、なぜ太平橋のアーチ部だったとわかったのか、質問すればよかったと、今、後悔してしている。
ところで、炎天下、発掘調査現場説明会後に頂いたお茶はありがたかった。
なお、那覇市文化財課では、平良橋周辺遺跡の情報を提供を求めている。〔2015.11.14(土)〕
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