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2018年12月16日

沖縄と縄文文化 

 第498回沖縄県立博物館・美術館 博物館文化講座 「沖縄と縄文文化」(講師;今村啓爾 氏(帝京大学教授)が、2018年12月15日(土)開催された。 
沖縄と縄文文化 
【挨拶する金城 健副館長(自称サンフラン瀬底出身(笑)】

 岡本太郎張りの芸術的情熱を縄文人たちは、爆発させていたと思っていた。
 それは、マチガイだった。
 火炎型土器は、炎を思わせる四つの把手、ハート型の窓のワンパターンが見られるらしい。言われてみれば、そうとも見れる。
 平等な社会だったといわれる縄文時代、同じ火炎式土器を爆発でなく、共有していたようだ。

沖縄と縄文文化 
沖縄と縄文文化 
「縄文中期でも新潟県の火炎型土器と呼ばれたものは、その代表とみなされ、当時の人たちが芸術的情熱に任せて自由奔放に作っていたように見えるが、火炎型土器の作品を並べてみるとワンパターンで、みんな同じ形を作っていたことを知り、かえって驚く。」(第498回沖縄県立博物館・美術館 博物館文化講座 沖縄と縄文文化の配布資料)

沖縄産の縄文時代の土器には、縄文は見られないが、立派な縄文文化の土器(縄文土器)である。

「昨年北谷の平安山原(はんざんばる)遺跡で大洞式土器(破片)が出土していることがわかり話題になった。大洞式は縄文時代末期、今から2500年ほど前の東北地方の土器、工芸的にも精緻な土器である。」(同上の資料)
沖縄と縄文文化 
【昨年北谷の平安山原(はんざんばる)遺跡で、破片が見つかった大洞式土器】

パフォーマンス 土偶マイム が同日開催。
沖縄と縄文文化 
【遮光器土偶になりきる白鳥兄弟】
土偶になる前のストレッチがきつそうだった。

これも縄文土器
沖縄と縄文文化 
沖縄と縄文文化 
「藤内式という土器形式があったが、ここでは火炎型土器のように他人と同じものを作ることを嫌い、独創性が尊ばれていたようで、自分の知っているあらゆる文様と組み合わせ、周辺地域の文様を借用してまで、人を驚かすような独創的なものを創ることに特別な価値が認められる珍しい地域であったようだ。」(第498回沖縄県立博物館・美術館 博物館文化講座 沖縄と縄文文化の配布資料)

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