2013年11月10日
琉球国之図、琉球人は凄かった!「最先端の地図をつくった琉球人」
【琉球国之図の沖縄本島北部の一部】
琉球国之図の上を歩きながら見た。やんばるの山奥も測量がなされたのがわかる。
【琉球国之図の沖縄本島中部の一部】
勝連半島に「屋慶名」の地名がある。
【琉球国之図の沖縄本島南部の一部】
現在の地図にはない、岩礁まで描かれている。現在と同じ地名も見られた。

【間切(現在の市町村単位)に設置された「部石(しるびいし)」、沖縄諸島に約1万個設置された】 写真はこちらから
《「琉球国之図と完全復元伊能図フロア展示」及び講演会「最先端の地図をつくった
琉球人」(講師:沖縄県立博物館・美術館館長:安里 進)平成25年11月9日(土)開催。》
琉球国之図と伊能図フロア展示は、ゆったりと地図の上を歩きながら見れたが、講演会場は、入場率200%以上だった。
講演の冒頭、安里館長から「琉球人は、沖縄人とは違っていた。という落ちになりま
す。」
琉球国之図の特徴
①現在の地図と比較しても誤差が小さい。(縦47㎝横85.3㎝)
②1821年に伊能忠敬の日本地図が完成したが、その25年前にすでに完成。
③高度な測量技術は、フランス流の測量技術を中国の測量官平安から入手し、蔡温がさらに独自の測量技術を開発したと考えられる。
④琉球王府の国家プロジェクトとして、各間切(現在の市町村単位)に「印部石(し
るびいし)」と呼ばれる石を設置し、印部石間の距離と角度を測定することにより距離を算出する方法等により「間切島計図」(現在の市町村単位の地図)を作製。
⑤この「間切島計図」を縮小接合して、一枚の琉球国之図を作製。
「琉球人は、中国の属国でありながら、中国をアンテナにして、世界の高度な測量技術等を入手し、国家を背負って生きていた。」
「琉球人は、世界の中の琉球を見てみたいという気構えがあった。」
講演後の質疑応答で「琉球の測量技術が低下した理由は、明治政府がその技術を否定し、新しい測量方式を導入したから。」
琉球人は凄かった。
追 伸
教科書に載るような発見の相次ぐサキタリ洞(南城市、玉泉洞の道向い)のこと、どのぐらいご存知ですか。
国内最古の「石器と人骨のセット」出土 2011年
世界最古の「釣り針」出土 2012年
国内最古の「貝器」出土 2014年
国内最古の「埋葬人骨」出土 2014年
2018年ハイサイ人類学が、本「サキタリ洞とその隣人たちー港川人はサキタリ洞に来たのかー」になりました。
サキタリ洞に関心方は、ぜひお読みください。
最後までお読みの方は、もれなく、「日本最古の顔」にご対面いただけます。
『最古』最高!サキタリ洞
ジュンク堂(2階沖縄関係書)、球陽堂など有名書店、沖縄県立博物館・美術館【ミュージアムショップ「ゆいむい」】で好評発売中! ネットでもお買い求めいただけます。
新星出版 600円(チープで、ディープです。)

この記事へのコメント
ゆるゆるだけど、楽しいうちなー情報です。
ありがとう〜。
ありがとう〜。
Posted by ねこ at 2013年11月16日 11:30
ねこさんへ
コメントありがとうございます。
コメントありがとうございます。
Posted by クワガタ
at 2013年11月16日 19:08

やっぱり、ウチナーンチュはすごい
Posted by ゴルゴ13 at 2016年08月24日 13:05
ゴルゴ13さま
琉球の歴史を知れば知るほどウチナーンチュのすごさを実感できます。
琉球の歴史を知れば知るほどウチナーンチュのすごさを実感できます。
Posted by クワガタ
at 2016年08月28日 10:01
