2016年10月10日
GO 護佐丸歴史資料館へ
【護佐丸歴史資料館】
自分が護佐丸の子孫だと思っているウチナンチュは多いと思う。
職場にもいた。
名前の最初に「盛」の字が付いているのがその証と言う。
実は、自分もその一人。(母親からの話しなので本気にしていなかったが・・・・)
そんなこともあり、5月30日の護佐丸歴史資料館の開館を知ったとき、すぐに行きたいと思ったが、今日(10/8)になってしまった。
館内の展示に、「護佐丸の子孫は、現在では十万余も数えるといわれている」とあった。
十万人もいたら、自分を含め護佐丸の子孫と思っている人が、周りにいてもおかしくないと納得してしまった。
これから、自分は護佐丸の子孫と自信を持って名乗ろうと思っている方は、まずは,護佐丸歴史資料館を訪ねてほしい。
館内で展示されている「護佐丸伝」(新垣正雄著)p392に、護佐丸門中の家名の
一覧があるので、自分の家名が載っているか確かめるのも楽しい(我が家の家名は幸いありました)。
やがて17時、閉館時間を知らせるアナウンスが聞こえた。
まだ明るく近くなので、護佐丸の墓に向かうことにした。
だが、途中「大山盛保誕生之地」の碑を見つけ、車を降りた。大山盛保は、中城村
(現在北中城村)出身で港川人発見者として知られている。大山も護佐丸の子孫であり、そのことに誇りをもっていたようだ。
【大山盛保誕生之地の碑】
大山盛保については、詳しくは下のタグの大山盛保をクリック!
そこから、中城城趾を横目に車で2〜3分のところに、護佐丸の墓への登り口があった。
【墓への登り口】
【墓への階段】
階段は新しい。『護佐丸公530年祭記念 昭和62年11月』とある。
【墓の門番のようなフクギ】
階段を登りきると、左右のフクギの出迎えがある。
【護佐丸の墓】
県内最古の亀甲墓といわれている。
護佐丸の墓に着くと、小雨がぱらついが、直ぐに止んだ。
写真を撮って、墓に手を合わせた後、階段を下りながら、島陰?が近くに見えた。
十万人余の護佐丸のご子孫の皆様、「護佐丸歴史資料館」→「中城城趾」→「護佐丸の墓」の『護佐丸ミニツアー』に出かけてみませんか。もちろん各自で!

Posted by クワガタ at 07:42│Comments(0)
│中城城・護佐丸