消えた琉球競馬・幻の名馬「ヒコーキ」を追って

クワガタ

2016年03月17日 21:42


【最後の琉球競馬(ンマスーブ)が行われた平良真地(現・首里大名町)、約300
メートルの直線道路 右側のガードレル側には、馬の水浴び所(ンマアミシグムイ)があった。】

〔消えた琉球競馬・幻の名馬「ヒコーキ」を追って〕(2016/3/5  沖縄県立博物館・美術館 文化講座 講師:梅崎晴光)

講師の梅崎は、請鉢巻き(ウチハチマキ)を頭に巻いて登壇した。

琉球競馬の騎手の請鉢巻きは、ヤマト風の前結び。これは、ヤマトの影響を強く受けたことを示していたと言う。

琉球競馬の特徴1.走り方が右前脚と右後脚、左前脚と左後脚を同時に出す「側対歩」で時速15キロ程度。特徴2.速さを競うのではなく、脚並みの美しさや正確なリズムを競った。

上下振動が少なく、横乗りで高級神女の乗り馬にもつかわれたようだ。

この琉球競馬の始まりは、中国からの冊封使の送迎や江戸上りのために使われた側対歩のできる馬の選別や調教であり、それが琉球氏族の娯楽になり、盛んになったと考えられている。

最盛期の明治時代以降には、馬を走らせながら、簪を拾い上げた言われた名騎手も現れた。

大正時代に入ると軍馬生産に向けて馬の大型のため、沖縄・宮古の在来馬は、小型だったため法律により、去勢され激減した。

そして、昭和18年の平良真地(テーラマージ:現・首里大名町)の琉球競馬を最後にその姿を消した。

しかしである。今、平良真地で琉球競馬(ンマスーブ)の復興計画があるという。

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公演後、首里大名のいとこが、私を見かけて、声をかけてきた。(やはり来ていた)

平良真地(現・首里大名町)での琉球競馬(ンマスーブ)の復興計画の話しで、二人で
盛り上がった。

私が小学生の頃、首里大名の祖父の家からの帰り、馬の水浴び場だった池のカエルの大合唱を聞きながら、懐中電灯をたよりに歩いた道。

この辺では妙なくらい「まっすぐな道」に思えた、その道で、琉球競馬(ンマスーブ)の復興計画がある。

自分も何かできることあれば、ぜひ協力したい。
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