2010年09月10日
もう一人の港川人ー上部港川人ー
上部港川出土人骨 写真は群馬県立自然史博物館研究報告書(4):23-46、2000から転載

港川人4号写真はブログ近畿地方の古墳巡り!から転載
(http://blog.goo.ne.jp/tommz_1938/e/27646fce5d710a0f9bdbe1ba503e59c5)
もう一人の港川人がいる。
港川人が港川フィッシャーの下部で発見されたのに対し、港川フィッシャーの上部で発見されたため上部港川人といわれる人骨群がある。
上部港川人骨は、港川人骨より大きく形も違い、形は縄文時代人に似ており、大きさは縄文時代中後晩期の人骨に匹敵するという。
推定年代も約1万8000年前の港川人より新しく約1万2000年前である。
ところが最近、お茶の水女子大の松浦秀治教授らにより、港川人のうち港川人4号の年代が、これまでの推定年代(約1万8000年前)より、新しく、上部港川人の年代(約1万2000年前)と重なる可能性があることが確認された。 (http://research.kahaku.go.jp/department/anth/s-hp/index.html)
松浦教授は「骨の特徴の異なる人々(港川人4号と上部港川人)がある時期に同時に存在していたことを示唆する。上部港川人は港川人の子孫ではなく、外から沖縄に入ってきた可能性がある。」という。(「ここまでわかってきた日本人の起源」産經新聞社)
同時期に存在した港川人と上部港川人の間に混血があり、これが沖縄の縄文人の多様性の一因になった可能はないだろうか。
港川人4号と上部港川人がある時期に同時に存在していたことと港川人4号の両肘に葬送儀礼とも考えられる人工的な傷があることは,何か関連があるのだろうか。港川人4号に注目したい。

Posted by クワガタ at 16:54│Comments(0)
│港川人