2011年07月30日
上部港川人、実は港川人
上部港川人の右脛骨に1968年3月17日地下12米、
右上腕骨に1968.3.27地下15米とある
港川人は、深さ15メートルの場所から発見されており、一部、上部港川人が発見された層位と重なる。
人類の足あと展 ギャラりートークでの沖縄県立博物館・美術館の藤田さん
「上部港川人、実は港川人」 こんな記事が出るのも近いかもしれない。
第2回宜野湾市立博物館講座「人類の足あと展 ギャラりートーク」(平成23年7月24日開催)でのこと。
沖縄県立博物館・美術館の藤田さんに「上部港川人と港川人4号の年代が重なる可能性があることが示されているがどう考えるか」との質問をしたところ、「上部港川人は、港川人に含まれると考える。上部港川人の骨には地下12メートルの記載もあり、発見当時の状況を記録した大山さんのノートも再調査し、来年の大山盛保生誕100周年の事業等で報告予定である。」
「上部港川人の骨の形態が、縄文人に似ているとされていることにも否定的な見解を持っている。また、測定年代12,000年前であるとされているが、修整される可能性が高い。」
※上部港川人は、港川人(18,000年前)の発見された下層部ではなく上層部で発見されたといわれる人骨で12,000年前とされている。
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