2014年02月07日
宜湾朝保の墓から羽地朝秀の墓へ
【1933年撮影、羽地朝秀の墓:野々村孝男編著『写真集懐かしき沖縄』 琉球新報社 2000年】写真はこちらから
『羽地朝秀:琉球最初の歴史書「中山世鑑」を著し、王国の道筋を示した政治家』
(「琉球・沖縄 歴史人物伝」 沖縄歴史教育研究会 新城俊昭編著 沖縄時事出版)
『蔡温は、羽地朝秀の功績を「新しく国をつくって国王に献上したようなもの」と賞賛し、羽地の改革路線を継承した。』(「蔡温の言葉」 佐藤 亮編著 ボーダーインク)
【現在の羽地朝秀の墓】
羽地朝秀の墓は、数年前にいとこに誘われ「大名町学事奨励会(地域巡り)」で、地域の子ども達と一緒に回ったので、おおよその場所は覚えていた。(覚えてて、良かった。)
墓は、草木に覆われていたため、全体がわからない。
羽地朝秀の墓の写真を撮らせてもらい、手を合わせてお礼を言ってから墓を後にした。
ここも周辺は、墓地だ。帰り道、葬列とすれ違った。
確かに、蔡温と宜湾朝保の墓は、首里大名町に、羽地朝秀の墓は少し離れた首里末吉
町にあった。
このことを自分の子ども達に話しても、食いつきが悪い。(曾祖父の家のあった場所の近くに蔡温と宜湾朝保の墓があると言っても・・・・・・。)
そういえば、首里儀保町には、羽地朝秀の旧宅跡・蔡温の旧宅跡・宜湾朝保の生家跡
があると「SYURIKAWARABAN」で先日知った。行くしかない、もちろん一人で。
続く・・・・か?
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Posted by クワガタ at 19:25│Comments(0)
│蔡温の墓