2012年08月14日
大山盛保 奇跡を掘り出した男 その2
発見者のことば
週刊タイムス住宅新聞 第90号 昭和62年4月3日
旧石器時代人の化石は、これが初めてでしたから、認められるのに4年もかかりました。しかし、「違う」と言われても、こちらは確信があるし、納得できないうちは認めたくなかったから、頑張りました。(八重瀬町立具志頭歴史民俗資料館の展示から)
大山盛保さんは、「在野の研究者のメリット、というか強みは、どこの大学のどんなに偉い先生へも、自由に発言できることだと思う。
アカデミズムとか学問上のセクショナリズムにとらわれることなく誰にでも遠慮なく物が言える。しかも、そうい素人発想や研究実践が全くの的はずれのものだと、誰が言えよう?。
そういう意味で、私の終生の友・港川人の発見は、学者と民間人の協力態勢の一つの成果だったと、自負している。」と述べている。(「港川人を終世の友として」月刊誌青い海133号1984年7月)
港川人(骨)が、沖縄に帰って来ることを望んでいた大山さんは、平成8年7月16日に逝去されたが、平成24年の今年、生誕100年を迎える。!
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週刊タイムス住宅新聞 第90号 昭和62年4月3日
旧石器時代人の化石は、これが初めてでしたから、認められるのに4年もかかりました。しかし、「違う」と言われても、こちらは確信があるし、納得できないうちは認めたくなかったから、頑張りました。(八重瀬町立具志頭歴史民俗資料館の展示から)
大山盛保さんは、「在野の研究者のメリット、というか強みは、どこの大学のどんなに偉い先生へも、自由に発言できることだと思う。
アカデミズムとか学問上のセクショナリズムにとらわれることなく誰にでも遠慮なく物が言える。しかも、そうい素人発想や研究実践が全くの的はずれのものだと、誰が言えよう?。
そういう意味で、私の終生の友・港川人の発見は、学者と民間人の協力態勢の一つの成果だったと、自負している。」と述べている。(「港川人を終世の友として」月刊誌青い海133号1984年7月)
港川人(骨)が、沖縄に帰って来ることを望んでいた大山さんは、平成8年7月16日に逝去されたが、平成24年の今年、生誕100年を迎える。!

Posted by クワガタ at 10:12│Comments(0)
│大山盛保