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2012年10月02日

沖縄人類学会があった

沖縄人類学会があった
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沖縄人類学会設立を報じる東京人類学会雑誌
写真は、沖縄と日本の間で 伊波普猷・帝大卒論への道(71) 琉球新報平成24年9月11日(火)から転載

かつて、沖縄人類学会があった。

1897(明治30年)2月、小川鋠太郎(沖縄県尋常師範学校長)、和田規矩夫(沖縄尋常中学校長)、西常央(前中頭郡長)、太田朝敷(琉球新報記者)、鳥居龍蔵(東京帝大理科大学人類学教室)、黒岩恒(沖縄県尋常師範学校教諭)、熊谷釟吉
(沖縄尋常中学校教諭)、富永実達(沖縄県尋常師範学校助教諭)の8人(うち6人が県外者)が発起人となって、沖縄人類学会が設立された。

沖縄人類学会は、沖縄在住の7人の発起人のうち4人が沖縄を去ったことにより、発足から3年にして休止状態に陥った。

明治32年に沖縄県中学校に赴任してきた加藤三吾が、沖縄人類学会を新たな装いに組み替え、明治34年に「沖縄学術研究会」へ改装した。

(沖縄と日本の間で 伊波普猷・帝大卒論への道(71、72)伊佐眞一 琉球新報連載中から要約)

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Posted by クワガタ at 18:40│Comments(0)人類学会
 
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