2014年01月18日
蔡温の墓へ その1
【琉球王国時代の最大の政治家蔡温の肖像】
写真はこちらから
蔡温の偉業をさらに高める史実を最近知った。
沖縄県立博物館・美術館館長安里進氏の講演「最先端の地図をつくった琉球人」での
ことだった。
蔡温が、琉球にフランス流の近代測量技術を導入したのではないかとの話だった。これは、伊能忠敬が1800年に全国測量を開始する63年前だった。蔡温は、やはり凄かっ
た。
(詳しくは、下のタグの蔡温をクリックして琉球国之図、琉球人は凄かった!「最先端の地図をつくった琉球人」へどうぞ)
そういえば、蔡温の墓は、首里周辺にあることを思い出し、家内と一緒に見に行くこ
とにした。
ネットで目星をつけて探しに行ったが、見つからず近くの道端で立ち話をしている男性に道を尋ねた。
「蔡温のゆかりの方ですか。」と逆に聞かれ、「(まさか)違います。」
道の説明を聞いてもよくわからなかったが、お礼を言って、自分たちで探すことにした。
その日は、結局見つからず帰った。(そのとき、蔡温の墓の直ぐ下まできてい
たことを後で知った。) 続く
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タグ :最先端の地図をつくった琉球人蔡温
2013年12月29日
ついに、最終回!土肥直美の沖縄骨語り
《土肥直美の沖縄骨語り(20)琉球新報2013/12/25から抜粋(一部加筆)》
沖縄諸島の縄文人(貝塚時代人)は、北からやってきた本土縄文人なのだろうか。南からやってきたと思われる旧石器時代人(港川人など)の子孫たちはどうなったのだろうか。既に絶滅していたのだろうか。
生存競争に負けて駆逐されたのだろうか。確かたる証拠があるわけではないが、両者は共存し、次第に混じり合い、沖縄の貝塚文化を作っていったと考えたいところである。
写真2は頭骨を時代順に並べたものである。やはり、浦添ようどれ(グスク時代人)の特異な風貌が目を引く。
1 旧石器時代人
2 縄文時代人(貝塚時代人)
3 グスク時代人
4 近世・現代人
人骨から見えてきた沖縄人の成り立ちはそれほど単純なものではなかった(図1)。
おそらく、琉球列島へのヒトの波は一度や二度ではなく、北からも南からも繰り返し
やってきたのではないだろうか。
資源の乏しい環境で3万年以上もヒトがくらし続けた島は世界的にもめずらしいと言われる。
各時代の人骨がこれほどまとまって残されている地域も少ないと思う。
今後とも人類史研究のフィールドとして沖縄は注目され続けていくに違いない。
琉球新報で連載された「土肥直美の沖縄骨語り」も最終回となった。この連載が出版されることを期待するのは、私だけではないと思う。
その際は、土肥直美先生の著書『(初版)沖縄人はどこから来たか』(ボーダーインク)の「人間の骨格案内」(改訂版で省略)を挿入してもらいたい。
人骨入門に最適だ。
「骨格から性格がわかる!?」(誰が言ったか忘れた。)
※骨から性別を判断できることに関心のある方は、下のタグの骨盤をクリックしてこのブログの「骨の科学」へどうぞ。
追 伸
教科書に載るような発見の相次ぐサキタリ洞のこと、どのぐらいご存知ですか。
国内最古の「石器と人骨のセット」出土 2011年
世界最古の「釣り針」出土 2012年
国内最古の「貝器」出土 2014年
国内最古の「埋葬人骨」出土 2014年
2018年ハイサイ人類学が、本「サキタリ洞とその隣人たちー港川人はサキタリ洞に来たのかー」になりました。
(「土肥直美の沖縄骨物語〈3〉は、p44に収録しています。)
サキタリ洞に関心のある方は、ぜひお読みください。
最後までお読みの方は、もれなく、「日本最古の顔」にご対面いただけます。
『最古』最高!サキタリ洞
ジュンク堂(2階沖縄関係書)、球陽堂など有名書店、沖縄県立博物館・美術館【ミュージアムショップ「ゆいむい」】で好評発売中! ネットでもお買い求めいただけます。
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新星出版 600円(チープで、ディープです。)
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2013年12月04日
骨からの直接年代測定では国内最古!白保竿根田原遺跡
【琉大などが復元を目指す保存状態の良い1万6千~1万8千年前の頭骨】
白保竿根田原洞穴遺跡の最古の人骨は約2万6千年前で、骨から直接年代が確認され
た人骨では国内最古。
東京大学総合研究博物館の米田穣教授は「狩猟採集の面積が限られ、津波など災害リスクもある小さな島の洞穴が1万5千年間、使用され続ける例は世界でも珍しい。私たちが知らない生きる仕組みがあったかもしれない」と述べた。
(沖縄タイムスプラス2013/12/02抜粋)
国立科学博物館人類史研究グループの篠田謙一氏の分析によると、2万年前の人骨は
女性で、南方系のつながりがあるとみられる。白保の人は東南アジアから海を渡って北上したグループの一員だったと考えられるという。
1万6千~1万8千年前の地層から見つかった頭骨は状態が良く、顔を復元するプロジェクトも進行している。(琉球新報2013/12/02抜粋)
白保竿根田原洞穴遺跡講演会 平成26年1月25日(土) 沖縄県立埋蔵文化財センター研修室 13:00~17:00 定員140名(先着順)
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2013年11月25日
沖縄初!8千年前の「押引文土器」 サキタリ洞
早めに行って良かった、整理番号28番。
発掘調査見学会で、整理券が発行されるとは、・・・。しかも参加者が多いため、早く始まった。
【サキタリ洞遺跡見発掘調査見学会開催、2013/11/24(日) ガンガラー谷内】
沖縄県立博物館・美術館の山崎真治さんからの説明が始まった。
サキタリ洞調査区Ⅱ断層
サキタリ洞調査区ⅡのⅤ層から見つかった「押引文土器」。同じ地層中のカタツムリの殻の年代測定から8千年前とされた。
へら状の道具で押しつけたような「押引文」(拡大)
「押引文土器」の見つかったⅤ層の下層から発見された厚手土器、年代未定。
4千8百年前のイヌ下顎骨、骨が砕かれているので、最後には食べられたのではないか。
貝製の腕輪と石斧の一部(約3千年~2千年前)
骨針:穴はなく、糸を結んで使用した。年代は聞きそびれた。
サキタリ洞遺跡発掘調査速報展 平成26年2月18日(火)~3月16日(日)沖縄県立博物館・美術館
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発掘調査見学会で、整理券が発行されるとは、・・・。しかも参加者が多いため、早く始まった。
【サキタリ洞遺跡見発掘調査見学会開催、2013/11/24(日) ガンガラー谷内】
沖縄県立博物館・美術館の山崎真治さんからの説明が始まった。
サキタリ洞調査区Ⅱ断層
サキタリ洞調査区ⅡのⅤ層から見つかった「押引文土器」。同じ地層中のカタツムリの殻の年代測定から8千年前とされた。
へら状の道具で押しつけたような「押引文」(拡大)
「押引文土器」の見つかったⅤ層の下層から発見された厚手土器、年代未定。
4千8百年前のイヌ下顎骨、骨が砕かれているので、最後には食べられたのではないか。
貝製の腕輪と石斧の一部(約3千年~2千年前)
骨針:穴はなく、糸を結んで使用した。年代は聞きそびれた。
サキタリ洞遺跡発掘調査速報展 平成26年2月18日(火)~3月16日(日)沖縄県立博物館・美術館
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2013年11月19日
また、人骨発見!白保竿根田原遺跡
【1万6千~1万8千年前の地層から発見された頭骨 写真:八重山毎日新聞(2013年10月30日)から転載】
石垣市白保竿根田原遺跡で、また、人骨が発見された。
今回は1万6千~1万8千年前の地層からの頭骨発見。
港川人と同時期であることから、顔の復元がなされれば、その比較に期待が高まる。
【NHKサイエンスZERO 特報!太古の人骨発掘2013/11/17放送】の中で土肥直
美先生は、「ほとんどそろっているので、最終的には頭の形が復元されると思います。」
「こういうのを掘れるというのは、一生に一回あるかないか。キャーとは言っていな
いけれど、そのくらい・・・・・」(しばらく、土肥直美先生のワクワクが続きそうだ。)
アジアでもこのように大量に旧石器時代の人骨が出土する遺跡は貴重という。
沖縄県立埋蔵文化センタ-では、11月30日に現地説明会、12月1日に石垣市で講演会開催。
※土肥直美の関連記事は、下のタグの土肥直美をクリックで行けます。
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2013年11月10日
琉球国之図、琉球人は凄かった!「最先端の地図をつくった琉球人」
【琉球国之図の沖縄本島北部の一部】
琉球国之図の上を歩きながら見た。やんばるの山奥も測量がなされたのがわかる。
【琉球国之図の沖縄本島中部の一部】
勝連半島に「屋慶名」の地名がある。
【琉球国之図の沖縄本島南部の一部】
現在の地図にはない、岩礁まで描かれている。現在と同じ地名も見られた。
【間切(現在の市町村単位)に設置された「部石(しるびいし)」、沖縄諸島に約1万個設置された】 写真はこちらから
《「琉球国之図と完全復元伊能図フロア展示」及び講演会「最先端の地図をつくった
琉球人」(講師:沖縄県立博物館・美術館館長:安里 進)平成25年11月9日(土)開催。》
琉球国之図と伊能図フロア展示は、ゆったりと地図の上を歩きながら見れたが、講演会場は、入場率200%以上だった。
講演の冒頭、安里館長から「琉球人は、沖縄人とは違っていた。という落ちになりま
す。」
琉球国之図の特徴
①現在の地図と比較しても誤差が小さい。(縦47㎝横85.3㎝)
②1821年に伊能忠敬の日本地図が完成したが、その25年前にすでに完成。
③高度な測量技術は、フランス流の測量技術を中国の測量官平安から入手し、蔡温がさらに独自の測量技術を開発したと考えられる。
④琉球王府の国家プロジェクトとして、各間切(現在の市町村単位)に「印部石(し
るびいし)」と呼ばれる石を設置し、印部石間の距離と角度を測定することにより距離を算出する方法等により「間切島計図」(現在の市町村単位の地図)を作製。
⑤この「間切島計図」を縮小接合して、一枚の琉球国之図を作製。
「琉球人は、中国の属国でありながら、中国をアンテナにして、世界の高度な測量技術等を入手し、国家を背負って生きていた。」
「琉球人は、世界の中の琉球を見てみたいという気構えがあった。」
講演後の質疑応答で「琉球の測量技術が低下した理由は、明治政府がその技術を否定し、新しい測量方式を導入したから。」
琉球人は凄かった。
追 伸
教科書に載るような発見の相次ぐサキタリ洞(南城市、玉泉洞の道向い)のこと、どのぐらいご存知ですか。
国内最古の「石器と人骨のセット」出土 2011年
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国内最古の「貝器」出土 2014年
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2013年10月21日
しまくとぅばで考えよう!
写真はこちらから
頭の中で考えると思考になり、思考が外に発せられると言葉になると言われる。
日本語(標準語)で考えると、日本語が言葉として発せられる。
しまくとぅば(琉球諸語)で考えると、しまくとぅばが言葉として発せられる。
身の回りの物事を自分のしま(故郷)のしまくとぅばで考え、しまくとぅばで語り、
しまくとぅばで表現してみよう。
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2013年10月13日
言葉は文化の遺伝子ーしまくとぅばが無くなるとー
写真はこちらから
ほとんどの沖縄県民は、「しまくとぅば(琉球諸語)」を耳にする機会が少なくなっ
たと感じながらも、しまくとぅばが無くなるとは考えていない。
しまくとぅばが無くなっていくと、子供らに沖縄文化を正確には伝えられなくなると
いうのに・・・・・・。
日本語(標準語)でも、沖縄文化を伝えることはできるが、しまくとぅばにはあって、
日本語にはない言葉があることはもちろん、しまくとぅばだから伝わるニュアンスの
違いも当然ある。
しまくとぅばが無くなると、沖縄文化がゆがめられて伝えられたり、衰退していくこと
は想像に難くない。
しまくとぅば、沖縄文化の遺伝子であり、しまくとぅばを継承することは、沖縄文化を
継承していくことに外ならない。(クサムニー:よく知っているかのように話すこと)
しまくとぅばでしか伝えられない文化が沖縄にはあり、沖縄の魅力の一つになって
いる。
しまくとぅばが無くなりつつある沖縄は、観光客にも魅力のない沖縄になる。と危惧
するウチナンチュは、まだ少ない。
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2013年10月01日
2万年前の沖縄人の「顔」復元中! 白保竿根田原洞穴遺跡確認調査
白保竿根田原洞穴遺跡の最新の話が聞けると思い、開場前に着いたけれど・・・・・・入場者は、まばらだった。
第56回文化講座 発掘調査速報2013 その2が、平成25年9月21日(土)沖縄
県立埋蔵文化財センターで開催。
沖縄県立埋蔵文化財センターの仲座久宜さんによる「白保竿根田原洞穴遺跡確認調査」の結果説明があった。
写真の右上:今回発見された石英の石器
サキタリ洞で発見された、石英の石器(旧石器)との比較検討は、これから行われる。
ヒトの下顎骨や顔面等の骨(16,000~18,000年前)が、良好な状態で出土している。
顔の復元作業は、琉大の土肥直美さんが進めており、楽しみにしておいて下さいとのこと。
イノシシ骨の解体痕(カットマーク)も見つかっており、港川フィッシャー遺跡出土のイノ
シシ肩甲骨のカットマーク(評価は定まっていない)と比較してみるのも興味深い。
10月にも白保竿根田原洞穴遺跡の調査を行い、平成26年度に報告書を刊行するという。
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第56回文化講座 発掘調査速報2013 その2が、平成25年9月21日(土)沖縄
県立埋蔵文化財センターで開催。
沖縄県立埋蔵文化財センターの仲座久宜さんによる「白保竿根田原洞穴遺跡確認調査」の結果説明があった。
写真の右上:今回発見された石英の石器
サキタリ洞で発見された、石英の石器(旧石器)との比較検討は、これから行われる。
ヒトの下顎骨や顔面等の骨(16,000~18,000年前)が、良好な状態で出土している。
顔の復元作業は、琉大の土肥直美さんが進めており、楽しみにしておいて下さいとのこと。
イノシシ骨の解体痕(カットマーク)も見つかっており、港川フィッシャー遺跡出土のイノ
シシ肩甲骨のカットマーク(評価は定まっていない)と比較してみるのも興味深い。
10月にも白保竿根田原洞穴遺跡の調査を行い、平成26年度に報告書を刊行するという。
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2013年09月23日
船越原遺跡 渡嘉敷島は縄文時代からキャンプ地だった!?
10数年前、渡嘉敷島に住みながら、船越原遺跡を知らなかった。
第56回文化講座 発掘調査速報2013 その2が、平成25年9月21日(土)沖縄県立埋蔵文化財センターで開催。
沖縄県立埋蔵文化財センターの瀬戸哲也さんによる「船越原遺跡(渡嘉敷島)」の範囲確認調査結果の説明があった。
・船越原遺跡では、爪形文土器包含層が現在の海岸線より約100m西側に、約30m程度の範囲で残存。(写真:左 爪形文土器は、県内でも10数遺跡でしか見つかっていない約6000年前の土器)
・本島中南部の人々が石器(石斧など)の材料をとるためのキャンプ地であった可能性がある。(石材が海岸に多く分布。本島北部にもあるが、渡嘉敷島で採取する方が容易だったかも知れない。)
・爪形文期(約6000年前)には、人々がいたのは、確かだが、定住といえるほどの痕跡はない。(人骨などは見つかっておらず近くに水源もない。)
・過去採取された土器には、縄文時代前期(約5000年から6000年前)のものと考えられているが、類例がほとんどない「神野A式土器」がある。今回の調査では、発見されず、過去の発見場所の特定が望まれる。
追 伸
サキタリ洞(南城市、玉泉洞の道向い)から教科書に載るような発見が相次いでいま
す。
国内最古の「石器と人骨のセット」出土 2011年
世界最古の「釣り針」出土 2012年
国内最古の「貝器」出土 2014年
国内最古の「埋葬人骨」出土 2014年
国内最古の「赤い顔料で着色されたビーズ」確認 2021年
サキタリ洞への関心が再び高まっています。興味のある方は、ぜひ「サキタリ洞とその隣人たちー港川人はサキタリ洞に来たのかー」をご一読ください。
最後までお読みの方は、もれなく、「日本最古の顔」にご対面いただけます。
『最古』最高!サキタリ洞
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新星出版 600円+税(チープで、ディープです。)
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第56回文化講座 発掘調査速報2013 その2が、平成25年9月21日(土)沖縄県立埋蔵文化財センターで開催。
沖縄県立埋蔵文化財センターの瀬戸哲也さんによる「船越原遺跡(渡嘉敷島)」の範囲確認調査結果の説明があった。
・船越原遺跡では、爪形文土器包含層が現在の海岸線より約100m西側に、約30m程度の範囲で残存。(写真:左 爪形文土器は、県内でも10数遺跡でしか見つかっていない約6000年前の土器)
・本島中南部の人々が石器(石斧など)の材料をとるためのキャンプ地であった可能性がある。(石材が海岸に多く分布。本島北部にもあるが、渡嘉敷島で採取する方が容易だったかも知れない。)
・爪形文期(約6000年前)には、人々がいたのは、確かだが、定住といえるほどの痕跡はない。(人骨などは見つかっておらず近くに水源もない。)
・過去採取された土器には、縄文時代前期(約5000年から6000年前)のものと考えられているが、類例がほとんどない「神野A式土器」がある。今回の調査では、発見されず、過去の発見場所の特定が望まれる。
追 伸
サキタリ洞(南城市、玉泉洞の道向い)から教科書に載るような発見が相次いでいま
す。
国内最古の「石器と人骨のセット」出土 2011年
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国内最古の「赤い顔料で着色されたビーズ」確認 2021年
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2013年09月16日
ハイサイ!危機言語学会
(琉球新報 平成25年9月15日(日)から転載)
沖縄は、日本における「言語のガラパゴス」?
沖縄で危機言語学会
来年9月 国内で初各国の研究者参加
絶滅の危機にひんしている言語を研究し、認知度の向上や活用・記録保存の支援を目
的に活動する国際的な学術会議「危機言語学会」の第18回大会が、2014年9月17~20日に沖縄(沖縄国際大学等)で開催される。日本で初めての開催。
しまくとぅばも議論へ
危機言語学会は言語学の学会の中でも国際的に認知度が高く、世界各国に会員を有するなど影響力がある。例年50人以上の研究者らが登壇し、世界中の危機言語に関する研究成果を発表する。(琉球新報 平成25年9月16日(月)抜粋)
沖縄では、絶滅危惧種の生物が話題になることが多い。
しまくとぅば(琉球諸語)も同様に危機的状況にあり、その復興と継承の動きが活発化している。
沖縄開催の危機言語学会に期待が高まる。ナマヤサ、今でしょう
追伸
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国内最古の「石器と人骨のセット」出土 2011年
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2013年09月01日
消えゆく!喜友名東原ヌバタキ遺跡
喜友名東原ヌバタキ遺跡の現場説明会が平成25年8月24日(土)開催された。
炎天下、学生風の参加者が多い中で、宜野湾市文化課の担当者から、説明が始まった。
2500年前の貝塚時代中期末の集落遺跡。(第3号竪穴式住居跡)
住居内でベット状遺構(床面より一段高い段)が見られる。これは、本土より300年早い
ことになり、中国との関わりを示唆するものと考えられる。(第2号竪穴式住居跡)
第5号竪穴式住居跡の側の第10号土坑から、サメの歯7個が集中して見つかった。
いずれのサメの歯にも、紐を通したと思われる穴があけられている。
集落のリーダーまたは、神事を司る者の住居跡ではないかと考えている。
第2竪穴式住居跡から、石器も出土した。
屋外で煮炊きした土坑炉が、複数確認された。
大きい炉は、イノシシなどの大きな獲物を焼き、集落全体の獲物分配の場になり、
小さい炉は、各住居用だったのではないか。
8月下旬まで発掘調査が行われ、その後、この遺跡では集合住宅建設工事が始まる。
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炎天下、学生風の参加者が多い中で、宜野湾市文化課の担当者から、説明が始まった。
2500年前の貝塚時代中期末の集落遺跡。(第3号竪穴式住居跡)
住居内でベット状遺構(床面より一段高い段)が見られる。これは、本土より300年早い
ことになり、中国との関わりを示唆するものと考えられる。(第2号竪穴式住居跡)
第5号竪穴式住居跡の側の第10号土坑から、サメの歯7個が集中して見つかった。
いずれのサメの歯にも、紐を通したと思われる穴があけられている。
集落のリーダーまたは、神事を司る者の住居跡ではないかと考えている。
第2竪穴式住居跡から、石器も出土した。
屋外で煮炊きした土坑炉が、複数確認された。
大きい炉は、イノシシなどの大きな獲物を焼き、集落全体の獲物分配の場になり、
小さい炉は、各住居用だったのではないか。
8月下旬まで発掘調査が行われ、その後、この遺跡では集合住宅建設工事が始まる。
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2013年08月14日
日本化から琉球化へ?「沖縄人はどこから来たのか どこへ行くのか」
200席の会場は、年配の方々で埋め尽くされ、立ち見が出ていた。
沖縄博物館友の会主催講演会「沖縄人はどこから来たのか どこへ行くのか」が、 平成 25年8月10日(土)開催された。(講師:沖縄県立博物館・美術館館長 安里進)
ベルツの日本人の二重構造説:日本人を写真左の薩摩型と写真右の長州型に分けた。(裸体の写真が映しだされるとシャッターが一斉に切られた)
1 「沖縄人はどこから来たのか」
沖縄は、喜界島(奄美大島の東)や高麗・南中国からの移住により、ヒトの形質や
文化に大きな影響を受けた。
①グスク時代以降、沖縄人の顔は日本化して扁平顔になった。(現在の沖縄人の直接の祖先は、グスク時代人と考えられている。)
上の写真の立体的顔(貝塚時代人)から下の写真の扁平的顔(グスク時代人)に変わった。
②グスク文化の発祥地である喜界島から、琉球列島への集団移住によりグスク文化が波及した。
・九州から持ち込まれたムギ・アワにより農耕生産力が向上し、喜界島の人口が増加。
・人口圧により、喜界島から琉球列島に集団移住。
・琉球列島の先住民と混血。
③琉球王国の形成には、高麗・南中国人・日本人が関与した。
・浦添ようどれの高麗瓦は、高麗瓦匠によって沖縄で製作。
・初期琉球の王族のミトコンドリアDNAは、南中国から東南アジアに多いタイプ。
・本土日本の中世人と似た特徴(長頭・面長・出っ歯)を持つ英祖王陵の頭骨。
図をクリックで拡大
2 「沖縄人はどこへ行くのか」
沖縄は、東アジア世界と連動しながら琉球化と日本化で揺れ動いてきたが、10数年後、4回目の琉球化に向かうのか?
図をクリックで拡大
最近の沖縄県内における「しまくとぅば」(琉球諸語)の復興・継承の気運は、琉球
化の兆しなのか? 琉球ルネッサンス!?
追 伸
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国内最古の「石器と人骨のセット」出土 2011年
世界最古の「釣り針」出土 2012年
国内最古の「貝器」出土 2014年
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沖縄博物館友の会主催講演会「沖縄人はどこから来たのか どこへ行くのか」が、 平成 25年8月10日(土)開催された。(講師:沖縄県立博物館・美術館館長 安里進)
ベルツの日本人の二重構造説:日本人を写真左の薩摩型と写真右の長州型に分けた。(裸体の写真が映しだされるとシャッターが一斉に切られた)
1 「沖縄人はどこから来たのか」
沖縄は、喜界島(奄美大島の東)や高麗・南中国からの移住により、ヒトの形質や
文化に大きな影響を受けた。
①グスク時代以降、沖縄人の顔は日本化して扁平顔になった。(現在の沖縄人の直接の祖先は、グスク時代人と考えられている。)
上の写真の立体的顔(貝塚時代人)から下の写真の扁平的顔(グスク時代人)に変わった。
②グスク文化の発祥地である喜界島から、琉球列島への集団移住によりグスク文化が波及した。
・九州から持ち込まれたムギ・アワにより農耕生産力が向上し、喜界島の人口が増加。
・人口圧により、喜界島から琉球列島に集団移住。
・琉球列島の先住民と混血。
③琉球王国の形成には、高麗・南中国人・日本人が関与した。
・浦添ようどれの高麗瓦は、高麗瓦匠によって沖縄で製作。
・初期琉球の王族のミトコンドリアDNAは、南中国から東南アジアに多いタイプ。
・本土日本の中世人と似た特徴(長頭・面長・出っ歯)を持つ英祖王陵の頭骨。
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2 「沖縄人はどこへ行くのか」
沖縄は、東アジア世界と連動しながら琉球化と日本化で揺れ動いてきたが、10数年後、4回目の琉球化に向かうのか?
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最近の沖縄県内における「しまくとぅば」(琉球諸語)の復興・継承の気運は、琉球
化の兆しなのか? 琉球ルネッサンス!?
追 伸
教科書に載るような発見の相次ぐサキタリ洞(南城市、玉泉洞の道向い)のこと、どのぐらいご存知ですか。
国内最古の「石器と人骨のセット」出土 2011年
世界最古の「釣り針」出土 2012年
国内最古の「貝器」出土 2014年
国内最古の「埋葬人骨」出土 2014年
2018年ハイサイ人類学が、本「サキタリ洞とその隣人たちー港川人はサキタリ洞に来たのかー」になりました。
サキタリ洞に関心のある方は、ぜひお読みください。
最後までお読みの方は、もれなく、「日本最古の顔」にご対面いただけます。
『最古』最高!サキタリ洞
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2013年07月28日
グスク時代人は、日本本土の中世人に似ている!
浦添ようどれの英祖王陵2号石棺の頭骨は、下の写真の鎌倉時代の頭骨に似ている。
鎌倉時代の頭骨に注目。
土肥直美の沖縄骨語 〈11〉(琉球新報 平成25年7月24日(水))によると、『土肥さんは、2002年~2003年、「浦添ようどれ」の人骨調査に参加した。
英祖王陵2号石棺の頭骨(男性)は、頭を上から見た形は長く(長頭)、顔つきは平坦、何よりも驚いたのは、極端な突顎(出っ歯、反っ歯)だった。(上の写真)
実は、それらの特徴(長頭・突顎)は、日本本土中世(鎌倉時代~室町時代)の遺跡から出土する人骨の特徴だ。(下の写真)
日本の中世人に共通する特徴が、沖縄の同時代人(英祖王の時代はグスク時代・中世に相当)しかも、王族の中に確認された。』
グスク時代人は、日本本土の中世人に似ている!
グスク時代に、何が起きたのか?
追 伸
教科書に載るような発見の相次ぐサキタリ洞(南城市、玉泉洞の道向い)のこと、どのぐらいご存知ですか。
国内最古の「石器と人骨のセット」出土 2011年
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2013年07月21日
沖縄にゾウがいた! 地質屋から見た沖縄の自然ー化石と地史
【ゾウの歯化石が発見された宮古島の棚原洞。右下:ゾウの上顎右臼歯
ヒトの顔に見える棚原洞の入口の穴は、中で繋がっている。】
「沖縄にゾウがいた! 沖縄こどもの国のことではありません。」
地質屋から見た沖縄の自然ー化石と地史(沖縄県立博物館・美術館文化講座)が、
おきなわ石の会会長の大城逸朗さんを講師に、平成25年7月20日(土)開催された。
昭和12年(1937年)日華事変が勃発し、肥料原料のリン鉱石の入手が困難となったため、林 義三(農林省農業試験場)と小林 純が、リン鉱石調査のため宮古島へ向かった。
昭和14年(1939年)5月、リン鉱石採掘中に宮古島の棚原洞穴でゾウの歯化石が発見された。
その後、大塚弥之助(東京帝大助教授)が、『ゾウは死ぬときはかならず洞穴で死ぬ』と再調査し、歯と骨格片(化石)を発見する。
化石は、『戦後のいまも東大にあるはずだ』(小林 純)とのことであるが、「戦争で焼失したのではないか?」
宮古島棚原洞穴のゾウ化石の所在は、不明だが、琉球列島が、大陸と陸橋で繋がっていたことをゾウ化石は、物語っている。
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2013年07月01日
沖縄人形質(顔)の時代変化
丸顔(先史時代) 面長(近世・現代)
土肥直美の沖縄骨語り〈10〉(琉球新報 平成25年6月26日(水))によると、
『何よりも衝撃的だったのは、南西諸島の先史時代人と近世・現代人の顔に明らかな違いがあることだった。
統計的解析によると、この顔の違いは、南西諸島の近世・現代人と他地域の近世・現代人の顔の違いより大きく、また、系統が異なるとされる縄文人と弥生人の顔の違いよりも大きい。』
同じ南西諸島地域でも時代によって顔が大きく変わっている。(丸顔→面長)
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土肥直美の沖縄骨語り〈10〉(琉球新報 平成25年6月26日(水))によると、
『何よりも衝撃的だったのは、南西諸島の先史時代人と近世・現代人の顔に明らかな違いがあることだった。
統計的解析によると、この顔の違いは、南西諸島の近世・現代人と他地域の近世・現代人の顔の違いより大きく、また、系統が異なるとされる縄文人と弥生人の顔の違いよりも大きい。』
同じ南西諸島地域でも時代によって顔が大きく変わっている。(丸顔→面長)
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2013年06月15日
白保竿根田原人 「顔」復元に期待!
白保竿根田原洞穴遺跡から出土:人骨2
下顎骨(完新世初頭~更新世)
土肥直美の沖縄骨語り 〈8〉(平成25年5月22日(水)琉球新報)によると、「調査を進めている石垣島白保竿根田原洞穴遺跡の人骨は約2万年前の旧石器時代から約4千年前の下田原期を中心とする人骨である。
その上、どうやら港川人以来の顔が復元できそそうになってきた。現在、県立博物館・美術館の藤田祐樹さん、国立科学博物館の河野礼子さん等との共同研究で、デジタル技法を用いた顔復元プロジェクトが進行中である。新しい沖縄旧石器時代人の顔と対面できる日もそれほど遠くない。」
白保竿根田原人の顔が早く見たい!
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2013年06月02日
土器の話ーかけらが語る島とヒトの6000年ー 博物館学芸員講座
【港川フィッシャー上部で発見された、約8500年前の「波状文土器」】
「土器の話」を聞きに行って、八重山の無土器期に興味を持った。
博物館学芸員講座「土器の話ーかけらが語る島とヒトの6000年ー」が、平成25年6
月1日(土)、沖縄県立博物館・美術館(講師:山崎真治)で開催。
八重山(石垣島、波照間島、西表島)の下田原式土器は、約3,500年~4,300年前の土器で底の浅い鉢形で、1㎝を超える厚みがある。
この下田原式土器を持つ人々は、数百年暮らして、突然消えてしまう。この原因が大
津波によるものだとする説もあるという。
それから約2,000年後、土器を持たない人々が、八重山諸島に住み着く。この時期は無土器期といわれており、12世紀初頭まで続く。
土器を持っている文化から土器を持たない文化への移行は、全国的にも珍しいと言われている。(無土器期だけにお見せできる写真もありません。)
※3年前、白保竿根田原洞穴で、石垣島初の無土器期人骨が発見された。また、沖縄初の下田原式土器期人骨の可能性も示された。
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2013年02月08日
沖縄化石研究のパイオニア・大山盛保と発見への情熱
展示解説する山崎真治さん(沖縄県立博物館・美術館学芸員)
大山盛保さんは、沖縄で最初の給油所をカルテックス社と提携して設立した。
ギャラリーから、「当時の沖縄では、カルテックスは、ガソリンスタンドの代名詞だった。」
左は、実験的に作製された石器(人工物)。 右は、採集された偽石器(自然物)でサイコロ状になっている。
指でつまめる程の小さな石器だが、その意義は大きい。
沖縄県立博物館でこの石器が、常設展示される日も遠くないだろう。
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2013年02月02日
沖縄にいたシカの話 博物館学芸員講座
リュウキュウジカ ここから借用
リュウキュウジカの絶滅要因について説明する藤田祐樹さん(沖縄県立博物館・美術館
学芸員)
博物館学芸員講座「沖縄にいたシカの話」 が、平成25年1月12日(土) 沖縄県
立博物館・美術館で開催された。
リュウキュウジカの絶滅時期は、ヒトの渡来時期前後らしい(3万~2万年前)。
ヒトがシカを利用(狩猟)した確かな証拠はない。(解体痕は見られず、老齢個体が多く、骨折治療痕も多く見られる)
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2018年「サキタリ洞とその隣人たちー
港川人はサキタリ洞に来たのかー」を出版しました。
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